障害が気づかせてくれたこと
「文京の教育」の5月号に
こんなコラムを書かせていただきました(^^)
重度障害の弟がいる兄弟の立場で
幼少期に感じていたこと
弟がいたことで気づけたことなどを綴っています。
少し長いですが
読んでいただけると僕がなぜ日頃地域活動をしていて
どういう思いでわでかくらぶをやっているかが
分かっていただけるかなと思います(^◇^)
6月号にはこの続きで
自身の経験を振り返りながら
「笑顔の絶えない家族、常に辛そうな家族の違いや抜け方のポイント」
などを書いてみました。
来月号まで待てないという方は
遠慮なく直接聞いてください(笑)
これらの思いを元に
笑顔の家庭をたくさん増やしていきたいと日々奔走しています。
まだまだ力不足で発信力が弱いのが悩みなため
感想やアドバイスをいただけると助かります!!
画像だと見づらいので、以下本文です。
弟と今の自分 ①
―障害が気づかせてくれたこと―
私には脳性マヒで重度の知的、身体障害を持つ
1歳違いの弟がいます。
重度障害の弟がいる兄弟の立場で幼少期に感じていたこと
弟がいたことで気づけたこと
今取り組んでいる事業や活動に至るまでのポイントなどを
綴っていきたいと思います。
【幼少期の思い出】
今は丈夫な弟も幼少期は入退院を繰り返し
死の淵をさ迷うこともしばしば。
当然弟が中心の生活となるので
出かけ先や習い事など
私が希望したものは通りませんでした。
仕方がなかったのですが
弟の都合が何事も優先になっていたのは
かなり寂しかった記憶が強く残っています。
また、弟のことで友人にからかわれたり
当時は引っ込み思案だったため
よく泣いて帰ってくることもありました。
今でこそ弟がいたことを感謝していますが
当時は自己肯定感も低く
自分は愛されていない
自分なんていない方がよかったんじゃないかと
親や弟に辛く当たってしまったこともありました。
このときの気持ちが
実は今の仕事に大きく役立っています。
【親になって気づいたこと】
息子が生まれた5年半前のこと。
おむつ替えや沐浴、夜泣きをあやしたりする中で
蓋をしていた過去の思い出が一気に溢れ出る経験をしました。
日々の育児で息子に愛情を注いでいる自分に
「あれ?もしや自分も同じようにたくさん愛情かけてもらっていたのでは?」
と思った瞬間、怒涛のように両親との思い出がだれ込んできました。
「そういえばある日父親がグローブ買ってきてくれて
公園でキャッチボールしに行ったなぁ。
自分が運動好きじゃなくて途中で行かなくなったんだった。
そういえばギターを始めたときにも楽器屋さんに連れて行ってもらったよなぁ…。」
父親からは遊んでもらった記憶がなかったのですが
実は寂しさから思い出に蓋をしていただけだったことに気付きました。
また母に対しても
「なんで勝手に決めるんだ。こんなこと求めていないのに…。」
ともどかしい思いの記憶が強かったのですが
今思えば全て私を思ってくれての先回りだったんだなと
親になって納得出来たことだらけです。
まさに親の心子知らず。
思えば育児初心者の2人が
重度障害児も抱えながら
子どもに寄り添うなんて至難の業。
愛情をもっとたくさん受けたかったのに
どうやら年子の弟ばかり心配されていたことを妬んでいたことから
記憶に蓋がされていたようです。
人間の記憶って不思議ですね!
当時の2人に
今ならたくさんいいサポートや
アドバイスができる自信があります(笑)
【弟がいてくれたから】
ありがたいことに数年前に施設に入ることが出来
今はグループホームにいます。
当時両親が鬱で入院していたことも配慮されましたが
施設入居時に世帯分離したことで
弟は生活保護を受けられるようになり
ありがたいことに経済的に自立しました。
しかし一方
弟の幼馴染で小さい頃私も一緒に可愛がってもらった保護者が
介護苦で自殺したり、ストレスから病気で亡くなった方もいて
知ったときはかなりショックを受けました。
もし弟のような希望となる事例を知っていたら
不幸を防げたのではという思いが
その後事業や活動を立ち上げる原動力になっています。
弟の障害により周りに雇用が生まれており
私も後に事業を立ち上げました。
弟の障害は私にとっても家族にとっても大きな意味があり
受け止め方次第でこんなにも
存在意義があるものなんだと実感しています。
【覚えていてくれたんだ!!】
小学生の頃
学校でいじめられて泣いて帰ってくると
「ようすけ、一緒に配達行くか?」
と、実家の隣にあった酒屋のお兄ちゃんが
よく配達の車に乗せてくれました。
実家がなくなってしまったので
長いこと行く機会がなかったのですが
なんとなく足を伸ばしたときに偶然
10数年ぶりにそのお兄ちゃんに再会しました。
「お、ようすけ久しぶりだな。元気か?」
ただそれだけで、気づくと目頭が熱くなっていました。
小学生以来話す機会もほとんどなかったのに
付き合いもなかったのに。
そのお兄ちゃんの中に自分という存在を覚えてくれていただけで
思い出してくれただけで嬉しかったんだなぁ気づきました。
つらいときにそばにいてくれる人がいる。
話を聞いてくれる人がいる。
一緒に悩んでくれる人がいる。
それだけでどれだけ救われることか。
地域のおせっかいおじさん
困ったときのようちゃん先生になれたらという思いが
わでかくらぶや日々の活動の原動力となっています。
【気づきの中からの出発】
なんで障害に対する偏見が生れるのだろうと疑問を感じ
有志で勉強会を開催するうちに
「人は知らないものには恐怖を感じる。
怖いと距離を置いたり差別をしてしまうものなんだ。」
と気づきました。
またそれまでは
脳性マヒがあると誰しも弟のように
自活は難しいものだと思っていたのですが
私よりもはるかに優秀で経済的にも社会的にも
活躍している当事者の方たちとも出会い
私の概念は大きく変わりました。
視野をもっと広げようと勤めていた会社を辞め
介護業界に転職しました。
相談員として多くの家族と関わったり
同時に障害に対する支援団体を立ち上げ
多くの障害児を抱える家族と話をしてきました。
すると大きな違いと共通することが見えてきました。
同じ大変さを抱えていても
このポイントに気付いているかいないかで
家族の在り方が大きく変わるんだなと感じています。
笑顔の絶えない家族
常に辛そうな家族
その違いはどこにあるでしょう?
続く
≪略歴≫
髙山陽介(ようちゃん先生)
1980年8月生まれ。神奈川県横浜市出身。
小学校教員の妻と5歳の息子との3人暮らし。
成城大学経済学部経営学科を卒業後、頭髪化粧品メーカーに就職。
その後転職した会社がリーマンショックによる経営破たん。
30歳を機に脱サラし、障がいのあるなしに関わらず楽しめる場づくりや、学生時代から取り組んできた音楽を活かしたイベントなどを企画してきた。
2015年4月、文京区にて子どもが楽しく自発的に学ぶ力を身につける学習塾わでかくらぶを開校。
「多世代交流しながらゆるーく楽しく地域全体で子育てをする環境をつくりたい」という思いから、子育てサークルや、多世代交流会の運営にも取り組んでいる。
所持資格:保育士、介護福祉士、社会福祉主事(任用)、ファイナンシャルプランナーなど